【10.06.10 倭国媒体】中国人看倭国:“支那”这个词是如何从倭语中消失的?默认分类 2010-06-15 17:33:20 阅读122 评论12 字号:大中小
【中文标题】中国人看日本:“支那”这个词是如何从日语中消失的?
【原文标题】中国から見た日本「日本語から支那という言葉が消えたのは?」
【登载媒体】searchina
【来源地址】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100610-00000020-scn-cn【译文】
中国網日本語版(チャイナネット)はこのほど、「日本語から支那が消えたのはいつか」とする文章を掲載した。以下はその文章より。
中国网日文版最近,刊登了《支那从日语中消失是何时》一文,下面是摘取这篇文章的内容。
この数年、中国国内の映画やドラマは抗日戦争に関するテーマに重点を置いているが、一部の演出家たちは抗日戦争の時代背景や知識に乏しい。劇中で描かれる日本の侵略者は中国という言葉を口にするが、日本が中国を侵略していた当時の呼称は、軽蔑(けいべつ)の意味を含んだ「支那」だった。
数年间,中国国内的电影和电视剧以抗日战争为题材的非常多,但是一些导演太缺乏对抗日战争的时代背景和知识。剧中描写得日本侵略者说着”中国“一词,但是日本侵略中国的时候,用的是带有轻蔑含义的”支那“。
今ごろになってこの「支那」という言葉に触れるのは、日中両国の多くの人がこの言葉をよく知らないためだ。20世紀前半には気概のある中華の男女は、この強烈な国辱の烙印が押された呼称を耳障りに感じて嘆いた。戦前から戦中の日本の出版物では、「支那駐屯軍」「支那派遣軍」「日支関係」「北支治安線」などの言葉が並び、中国という呼称は用いられていない。日本が旧満州を統治していた時に現地の人たちに許されていたのは、「満州人」という呼び方だけだった。
现在才来渲染”支那“这个词,是因为中日两国的很多人对这个词并不了解。20世纪上半叶胸怀气概的中华儿女,对这个具有强烈的屈辱烙印的称呼感叹不已。从战前到战争中期,日本的出版物中,使用的是”支那驻军“、”支那派遣军“、”北支那治安线“之类的词汇,并不使用”中国“一词。日本统治”满洲国“的时候,当地的人只让他们称呼自己的为”满洲人“。
中国が第二次世界大戦の勝利国になってから、日本の出版物で「支那」という言葉は使用禁止になった。呼び名の変化は中国の国際地位の変化を反映し、敗戦後に日本は、「重慶政権」や「支那軍」といった呼び方を「中国政府」や「中国軍隊」に変えた。戦後、東京駐在の軍事代表団が東京に到着した時、あるメディアが「支那」という言葉を使ったため、すぐに戦勝国として同盟国の占領軍に禁止を求めると、米国占領当局は日本政府に命令を出した。
自从中国成为第二次世界大战的战胜国以来,日本的出版物中就禁止使用”支那“一词了。称呼的变化反应了中国在国际地位上的变化,战败后,日本将”重庆政权“和”支那军“换成了”中国政府“和”中国军队“。战后,驻东京的军事代表团在达到东京的时候,某个媒体因为使用了”支那“一词,中国马上就以战胜国的身份向同盟国占领军要求禁止这个词,美国占领当局向日本政府发出了命令。
1946年6月6日に日本外務省が各報道機関や出版機関に対して出した、「支那」の呼称を避ける事柄に関する通知は以下の通りだった。「以前に中華民国の国名として使っていた『支那』という言葉は、今日から中国などという呼び名に改めなければならない。中華民国では『支那』という言葉は極度に嫌われている。戦後、中国からの使用停止の要求を考慮し、今後はその原因を詳しく尋ねることなく、一律にこの国が憎悪する名称を使ってはならない」
1946年6月6日日本外务省向各新闻机构和出版机构发出了,避免使用”支那“这个称呼的通知。”以前作为中华民国的国名使用的‘支那’一词,今天开始必须改成‘中国’。中华民国对‘支那’这个词极度厌恶。战后,考虑到中国提出了停止使用的要求,今后,不需细纠原因,一律不准使用让这个国家憎恶的名称。”
この通知によって、中国人にとって非常に屈辱的な「支那」という言葉は日本の公開出版物から消えることになる。しかし日常的に言い慣れていた「支那」は依然として使われ続けた。
根据这个通知,中国人觉得非常屈辱的“支那”一词从日本的公开出版物中消失了。但是日常中惯用的“支那”一词仍在继续使用。
日本語の話し言葉から「支那」が消えたのは、中華人民共和国の成立後、米国に抗して北朝鮮を援助して勝利を勝ち取ってからのことだ。中国が北朝鮮に出兵し、米国世論が米陸軍史上最大の惨敗と驚いて叫んだ時、米国を極端に崇拝していた日本人は非常に驚いた。
“支那”从日语口语中消失,是在中华人民共和国成立后,在抗美援朝战争中取得胜利之后。中国向北朝鲜派兵,美国舆论惊呼这是美国陆军史上最大的惨败时,对美国极端崇拜的日本人感到非常震惊。
自国の歴史を知らず、中国に対して再び敬服の気持ちを抱くようになった日本人は、「支那」ではなく、中国という言葉を口にするようになった。その後、戦後に生まれ育った日本人のほとんどは、辞書を引かなければ中国のことを「支那」と言っていたことを知らないまでになった。
连本国历史都不知道的日本人,再次对中国表示敬服,放弃“支那”一词,在口语中也使用“中国”一词。这之后,战后出生和成长的日本人,如果不查辞典的话是不知道,中国曾被叫做“支那”的。